TAKANORI ABE

軟式会社 はだしでもえろ

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TAKANORI ABE

芸術について考える2018

https://www.instagram.com/p/Bd3tNqLlrd4/

 

僕の2018年の芸術コンセプトは

 


芸術で自らを解放しろ
芸術で人と出会え
芸術で人を勝たせろ

 

 

この3本立てで行くことにした

 

 

何かを続けると言うのは
ときにすごくやる気があったり
ときに絶望的にやる気がなくなったりする

 

 

なんのために作るのか?を考えることは
なんのために生きるのか?を考えるのと同じことだ

 

 

決められた意味などはない
意味は自分で作るものだ
意味は自分で作っていいものなのだ
意味は自分で作らなくてはならないものなのだ

 

 

そんなことを考えている暇があるのなら
線を一本でも描けと言われれば
それはその通りだと言わざるおえないが
ときに人にはじっくりと考える時間が必要だと思う

 

 

他者とは自分に何をしてくれる与えてくれる存在ではなく
自分が相手に与える機会を与えてくれる存在
だと言うことに最近はよく気がつくようになった

 

 

数年前は「芸術で自らを解放しろ」のみだった
このコンセプトは昔も今もかわらない

 

 

社会の中で生きて行くには自分を抑えて過ごさなくてはいけない場面が多々ある
それは会社のコミュニティだったり友達のコミュニティだったり
そんな中で芸術とは唯一自分の自由に振る舞える世界だと僕は思っている
そんなことから「芸術で自らを解放しろ」と言うコンセプトが生まれた


しかし心理的に自由になれていないとき
〜すべき、〜しなくてはいけない、というマイルールに縛られていると
作品にもその不自由さが出るのが面白い

 

 

対人関係で自由に振る舞えるから
作品でも自由に振る舞えるようになる

 

作品で自由に振る舞えるから
対人関係でも自由に振る舞えるようになる

 

 

ニワトリが先か卵が先かじゃないけど
対人関係の自由と作品の自由にもこういった関連性がある気がする

 

 

僕の場合はどっちだったのか?
作品で今の自分の状態を目視で確認しつつ
対人関係で調整し実践するというのを繰り返してきた気がする

 

 

もう一つは無限に広がる止まらない頭の思考を止めるために
作品に没頭し自分を一時的に殺すとという没頭自殺という目的に最近気付いた
没頭自殺より没頭死の方がいいかな?と思ったんだけど
あきらかに積極的に自分の意思でそこに向かっているので
没頭自殺という言葉の方が適切なような気がする

 

 

二つ目のコンセプトは芸術で人と出会え

 


悲しみをもたらすのは人だが
喜びをもたらすのもまた人である

 

 

人と出会う方法は数多くあるけど
僕の場合は作品を通して話す方が自分を開いて話すことができる

 

 


僕は表面上の浅い会話も浅い付き合いも嫌いだ
よりお互いの深い深いところまで潜って話すのが大好きだ
あまり深く潜りすぎると衝突したりすることもあるけど
当たり障りのないどこにも何にも触れずすれ違う虚しい会話
をするよりはマシだ

 

 

 


僕は自分と自分の作品と他者の三者でいるとき
不思議な感覚で自分を客観的に見ているような感じがして
自分について説明しているような感じもあるけど
それは自分ではなくてあくまでも作品である

 

 

作品を自分と同化する考え方もあるけど
僕の場合は描いたときにそのときの感情をキャンバスに置いて行くので
作品はあくまでももう過去の自分であって今の自分ではない
だから小さい頃に撮った写真を見返してあの頃はこんなだったよね
みたいな感じで話しているからより客観的に見れるんだと思う



だからこの方法を選ぶことにした

 

 

 

三つ目は芸術で人を勝たせろ

 

これは正直どうやって人を勝たせるのかよくわかっていない
とにかくなにかしらの方法で作品を通して人の役に立つとか人を勝たせたいと考えている

 

 

こないだデイヴィットシュリグリーの展示を見に行って
デイヴィットシュリグリーの言葉を聞いた

 

 

"アートは他人のために作ることはできない、他人のために作っても、気に入られないか、自分も気に入らないからだ、自分のために作れば一人は幸せだ" 

 

 

これもわかる
自分のために生きることが人の役にたつパターンもある

 

 


アドラー心理学では幸福とは貢献感であると言った
貢献感とは私は誰かの役に立っていると言う主観的な感覚のこと
貢献感を感じるには積極的に他者貢献する必要がある
貢献感は私は誰かの役に立っているという感覚を自分が感じられればそれでいい
相手が満足したかどうかを基準にすれば
それは相手の人生を生きることになり不自由な人生になる
あくまでも主導権は自分にある


 

つまり何かしら自分なりの理論で自分の作品を通して
誰かの役に立っていると自分で感じることができれば幸福にはなれるということだ

 

 

 

芸術で自らを解放しろという視点では
僕と同じように息苦しく生きている人に対して
もっと自由に生きていいことを伝えられたり
または僕と同じように自らを解放するために
作品を作ってみようという勇気を与えることもできる気がする

 

 


こう考えれば何も特別なことをしなくても
ただ描き続けるという行為だけでも誰かの役に立っているんじゃないかなと
最近はやっと思えるようになった

 

今年は展示をできるだけ多くやりたいと思います

 

 

 

今日もゆるく生きようぜ!